あるある文化財VOL.203 白石新四国八十八ヶ所(2)(第1番~第2番)
喜多和十(きたわじゅう)が主導し明治15年(1882)までに設置した白石新四国八十八ヶ所(しろいししんしこくはちじゅうはちかしょ)については、昭和25年(1950)に白石信者団体がまとめた『白石新四国設置由来 八十八ヶ所所在地及ビ本尊』に所在地・本尊名・世話人名が記されています。札所の位置図としては、同時期の作成かと考えられる手書きの「白石新四国札所所在地参道略図」があります。また、平成23年に、新四国八十八ヶ所研究会(研究会顧問山﨑勝二(白石信者団体第13代団長)、研究員川﨑泰廣)が編纂した『白石新四国設置由来 八十八ヶ所所在地及び本尊』に上記の昭和25年資料のコピー等と、住宅地図に新たに各札所位置が写真と共に示されています。更に令和2年に、『白石新四国八十八ヶ所巡り ポンコツ女子珍道中2020』に逆打(ぎゃくう)ち(第88番から巡ること)道中記が写真・位置図と共にまとめられています。
各札所に設置された本尊の当初の姿は、1石から彫り出された坐像(ざぞう)・光背(こうはい)・台座(だいざ)(蓮華(れんげ)座他)が、基礎に立つ竿石(さおいし)に乗るものでしたが、設置から100年以上が経過し、坐像のみが残る、基礎が失われるなど、当初の姿を留めているものは約4分の1に過ぎません。
上記の文献も参考に、おおむね時計回りに設置されている白石新四国八十八ヶ所の詳細(竿石の銘文等)を順打(じゅんう)ち(第1番から巡ること)で紹介していきます。所在地の後に四国八十八ヶ所札所の寺院名と本尊を( )内に併記します。銘文の旧漢字は世話人名以外を常用漢字に直し、竿石に向かって正面を(正)、右側面を(右)、左側面を(左)と表記します。なお、四国の旧国名は、阿波国(あわのくに)(徳島県)が「阿州(あしゅう)」、土佐国(とさのくに)(高知県)が「土州(どしゅう)」、伊予国(いよのくに)(愛媛県)が「イヨ」、讃岐国(さぬきのくに)(香川県)が「讃州(さんしゅう)」と記されています。
第1番 深通(ふかどおり)・六角川(ろっかくがわ)堤防裾の祠(霊山(りょうぜん)寺‐釈迦如来(しゃかにょらい))
当初の本尊釈迦如来坐像等は無く、白石新四国90周年記念にあたる昭和46年(1971)秋彼岸(ひがん)銘の、右手で三鈷杵(さんこしょ)、左手で数珠(じゅず)を握る「弘法大師(こうぼうだいし)」坐像が安置されています。銘文は、昭和25年(1950)の白石信者団体の調査結果等に基づいて推定しました。
(右)
明治十五午年
大世話人
大戸村喜多和十
(正)
第一番
本尊釈迦如来
阿州
霊山寺
(左)
福吉村中
世話人 井上嘉市
第2番 深通・六角川堤防裾の祠(極楽(ごくらく)寺‐阿弥陀(あみだ)如来)
第1番から北東方向の六角川堤防裾の小さな祠に安置されています。法界定印(ほっかいじょういん)(禅定(ぜんじょう)印‐瞑想(めいそう)を示す)を結ぶ坐像は、明治18年(1885)銘の基礎に乗り、竿石は坐像向かって右の子安地蔵の基礎に転用され、基礎も右端の小型弘法大師坐像の基礎に転用されています。
如来(にょらい)・菩薩(ぼさつ)・明王(みょうおう)の乗る台座は蓮(はす)の花を象った蓮華座が一般的ですが、ここ第2 番から第15番までの本尊の座る台座はいずれも方形です。第1番の本尊は失われていますが、同様の方形台座であったと考えられます。
(右)
明治十五午年
大世話人
大戸村喜多和十
(正)
第二番
本尊釈迦如来
阿州
極楽寺
(左)
福吉村中
野口平次郎
世話人草場寅左エ門
髙木德エ門
〈参考資料〉
HP(一社)四国八十八ヶ所霊場会
新四国八十八ヶ所研究会編『白石新四国設置由来 八十八ヶ所所在地及び本尊』平成23年
『白石新四国八十八ヶ所巡り ポンコツ女子珍道中2020』令和2年
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