あるある文化財VOL.177 陽線刻地蔵菩薩坐像板碑(1)
二重円光(にじゅうえんこう)を背に右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に宝珠(ほうじゅ)を胸前に持ち、蓮華座(れんげざ)に結跏趺坐(けっかふざ)(右足を左足の股の上に乗せる)する地蔵菩薩(じぞうぼさつ)を陽線刻(ようせんこく)した板碑(いたび)が、白石町内に4基確認されています。陽線刻とは、文字や像形の線の両側を彫り込み線を浮き上がらせる手法です。今回はその内の3基をご紹介します。
馬洗(もうらい)・法泉(ほうせん)寺(曹洞(そうとう)宗)参道南側の地蔵坐像(ざぞう)は、縦約80cm、横約63cmの安山岩の薄い自然石に刻まれています。上部が欠けた二重円光、頭頂部と額は陰線刻ですが、眉・目・鼻・袈裟(けさ)の襞(ひだ)・右手の錫杖・左手の宝珠や蓮華座は陽線刻で現わされていますが、蓮華座下部の返花(かえりばな)が省略されています。
法泉寺参道
同寺本堂南側墓地の地蔵坐像も、縦約87cm、横約72cmの安山岩の薄い自然石に刻まれたものです。顔部・錫杖頭部と二重円光の左脇が欠けていますが、頭頂部や顔の表現は参道南側の坐像と同様と考えられます。こちらは蓮華座下部の返花が陽線刻されています。
法泉寺墓地
嘉瀬川(かせがわ)・安福(あんぷく)寺(天台(てんだい)宗)薬師堂横の地蔵坐像は、縦約102cm、横約110cmの厚みのある台形状の自然石に刻まれています。厚さが約50cmもあり、上記の2基と比較すると板碑と呼ぶのは適当ではないかもしれません。こちらの坐像も同様な姿態ですが円光は頭部のみ、風化が激しくはっきりしませんが、蓮華座には返花が陽線刻されているようです。
安福寺
六角川を挟んだ対岸の大町町福母(ふくも)にも、町内のものと同様の陽線刻地蔵菩薩坐像板碑が1基あります。こちらは円光は頭部のみ、錫杖頭部と蓮華座が陰刻であり、坐像左脇に「應安(おうあん)六 三月八日」、同右脇に「法満寺 沙門(しゃもん)覚秀」と刻銘されています。応安6年(1373)3月8日に法満寺の沙門(男性の修行者)覚秀が造立したことを示していますが、法満寺については不明です。ちなみに「応安」という年号は、南北朝時代の北朝年号です。
大町町福母
以上4基の地蔵坐像を見てみると、姿態はほぼ同一ですが少しずつ違いが見られます。欠失があるので確定的なことは言えませんが、法泉寺墓地の坐像が本来の姿態で、返花が省略されたのが法泉寺参道の坐像、円光が頭部のみとなったのが安福寺の坐像、更に、蓮華座と錫杖頭部が陰線刻となったのが、応安6年銘の大町町福母の坐像となります。ただ、大町町の地蔵坐像の円光が頭部のみなのは、坐像左右に刻銘をしたために省略されたとも考えられます。
このような違いは年代的な時期差か、あるいは制作に携わった集団の違いによるものなのかは判然としませんが、それほどの時期差は考えられず、応安6年前後の短い期間に相次いで制作されたものと考えるのが妥当でしょうか。
〈参考文献〉
佐賀県立博物館『肥前の中世美術展』昭和60年
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