吉原清治(よしはらせいじ)
明治38年(1905)~昭和49年(1974)
福治(ふくぢ)村出身。鹿島中学在学時より飛行機製作に熱中。卒業後の大正13年 (1924)に川西機械製作所に入所し、昭和2年(1927)には二等飛行機操縦士免許を取得した。翌3年(1928)10月にドイツのアーヘン工科大学飛行研究所に入学し、ドイツ飛行機操縦士免状を取得。在学中の昭和4年(1929)9月、軽飛行機によるベルリン発シベリア経由での東京間飛行を申請したが、ソビエト国境通過の許可が下りずに断念した。
帰国後、報知(ほうち)新聞社に入社し、昭和5年(1930)8月、同社主催の軽飛行機によるベルリン発シベリア経由での東京間飛行(11日間約11,000km)に成功し、一躍その名が知れ渡った。
昭和6年(1931)、報知新聞社主催の軽飛行機による北太平洋横断飛行に挑むが、5月14日と7月5日にいずれも失敗した。更に、翌7年(1932)5月にも大型飛行艇での北太平洋逆横断飛行に挑んだが、アメリカのオークランドで試験飛行中、高波により機体が大破、機関士とともに骨折し計画を断念した。
昭和10年(1935)5月には、グライダー「KGK筑波1号」で1時間1分34秒間の日本記録を樹立、昭和12年(1937)にはグライダーを製作する小型飛行機研究所を設立した。
八坂神社所蔵のベルリン~東京間飛行に成功した際の写真
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