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ホーム>住民の皆様へ>学ぶ>白石町ゆかりの人>吉村新兵衛(よしむらしんべえ)

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吉村新兵衛(よしむらしんべえ)

慶長8年(1603)~明暦3年(1657)

江戸時代初期の白石南郷(有明地域西部)の大庄屋。佐賀初代藩主鍋島勝茂(なべしまかつしげ)に仕え、彼杵(そのぎ)・松浦他西口通路の警備の任を命ぜられ、嬉野へ移住した。落度(おちど)があって慶安3年(1650)に切腹と決まったが、父の戦功・親子三人の恭順・神文などによって一命を助けられた。以後、志を茶業にたて、茶樹の栽培・製法を研究し、今日の全国有数の嬉野茶の基礎を築いた。

明暦3年(1657)3月24日に勝茂が逝去(せいきょ)した後、その重恩を感じ、4月11日に追腹(おいばら)を切った。稲佐神社境内南の駐車場脇に、新兵衛夫妻の供養碑がある。

新兵衛の父大串太郎右衛門(おおぐしたろうえもん)は旧小城郡大串村の郷士(ごうし)で、天正2年(1574)の龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)の須古(すこ)城攻めに加わるも負け戦となり、吉村の天満宮に逃げ込み助かった。太郎右衛門は神明に感謝して姓を「吉村」に、家紋を「梅鉢」に改め、天満宮を再建した。辺田(へた)村(稲佐神社東麓)に居住し、天満宮を祀った。寛永16年(1639)10月に再建された深浦西分(ふかうらにしぶん)の観音堂棟札(むなふだ)に、「當大庄屋吉村太郎右衛門尉藤原種冨」とその名が記されている。

太郎右衛門が命を救われた吉村天満宮には、「嬉野茶祖吉村新兵衛ゆかりの地」碑が建てられている。

 

吉村新兵衛ゆかりの地碑

白石町吉村天満宮の「嬉野茶祖吉村新兵衛ゆかりの地」の碑

 

吉村墓

辺田・稲佐神社付近にある吉村新兵衛夫婦の供養碑

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このページに関するお問い合わせ先 生涯学習課 生涯学習係 電話(直通):0952-84-7129

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