鍋島勝茂(なべしまかつしげ)
天正8年(1580)~明暦3年(1657)
佐賀初代藩主。慶長19年(1614)秋頃、書院・寝所・風呂屋・鑓之間(やりのま)・台所・次之間・物置所を備えた秀屋形(ひでやかた=現、県立佐賀農業高校)を造営した。その規模は、四方を堀で囲まれ、水土井(土居)の外まで含めた面積は2町8段4畝19歩(約28,000平方メートル以上)という広大なもので、従来言われているような鷹狩りの際の逗留場所や干拓奨励のためなどではなく、より軍事的な位置づけを考えるべきである。世に流布する「化け猫騒動」は、地元では寛永17年(1640)に秀屋形で起こったと言い伝えられている。
秀屋形に隣接した秀林寺(しゅうりんじ)は、もとは勝茂が両親(直茂と陽泰院)の回向所(えこうしょ)として寛永20年(1643)に建立、寛文2年(1662)に2代藩主光茂(みつしげ)が伽藍(がらん)再建の際に、山号を日泰山から勝茂の法名(泰盛院殿澤円良厚大居士)に因んだ泰盛山(たいせいざん)と改め、勝茂の菩提寺(ぼだいじ)にしたとされている。
本堂には衣冠(いかん)姿の木造坐像(ざぞう)が、境内には同じく衣冠姿の坐像が浮き彫りにされた祠(ほこら)があるが、寛文2年の伽藍再建の際に共に安置されたとされている。因みに、この祠は化け猫を退治した千布本右衛門(ちぶほんえもん)末裔が明治4年(1871)に再建した「猫大明神」祠の東隣にある。
秀林寺所蔵 勝茂坐像(見学を希望の場合は要連絡)
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