鍋島茂真(なべしましげまさ)
文化10年(1813)~慶応2年(1866)
10代佐賀藩主直正=閑叟(かんそう)の異母兄で、直正の執政(しっせい=家老)として手腕を奮い、佐賀藩の近代化に大いに貢献した。
文化10年(1813)出生、文政5年(1822)に佐賀藩親類同格扱を受けた龍造寺一門である須古(すこ)鍋島家の13代茂臣(しげおみ)の養子となり、文政8年(1825)に一代限りで佐賀藩の家紋である花杏葉紋(はなぎょうようもん)を拝領した。天保3年(1832)に茂臣の娘嘉と婚姻、2男3女を設けた。嘉は天保11年(1840)に26歳で逝去(せいきょ)、法名は常真院賢質誠貞大姉。天保12年(1841)には7代鹿島藩主鍋島直彜(なおつね)の娘公(きみ)と婚姻、6男3女を設けた。公は明治4年(1871)に49歳で逝去、法名は文貞院善継季祥大姉。茂真は文貞院に先立つ慶応2年(1866)に54歳で逝去、法名は文成軒清蔭大庇居士。
須古鍋島家菩提寺の陽興寺(ようこうじ)に、茂真・常真院及び文貞院の肖像画各1幅がある(非公開)。文貞院肖像画は洋画家高木背水(たかぎはいすい)の描いたもので、文貞院は背水にとって父方の祖母にあたる。
茂真夫妻は、陽興寺本堂を見下ろす須古鍋島家御霊屋(おたまや)内に、花杏葉紋(はなぎょうようもん)が刻まれた茂真墓塔(有耳五輪塔)を中心に、同じ玉垣(たまがき)に囲まれて静かにたたずんでいる。
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