白石六郎通泰(しろいしろくろうみちやす)
(生没年不明) 白石氏の6代目、鎌倉幕府の御家人(ごけにん)。元軍が襲来した文永の役(文永11年10月-1274年)の際、博多方面の戦闘で窮地に陥った肥後国(ひごのくに=熊本県)の御家人竹崎季長(たけざきすえなが)を救援する。先頭の旗差(はたさし)に続き、弓を構えた通泰他8騎が『蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)』(宮内庁三の丸尚蔵館保管)に描かれ、その詞書(ことばがき)には「季長以下三騎痛手負ひ、馬射られて跳ねしところに、肥前国の御家人白石六郎通泰後陣より大勢にて駈けしに、蒙古の軍引き退きて麁原(すそはら)に上がる。馬も射られずして、夷狄(いてき)の中に駈け入り、通泰続かざりせば、死ぬべかりし身なり。思いの外に存命して、互ひに証人に立つ。(漢字・句読点を付す)」と記されている。旗差の持つ白旗には、白石氏の家紋である鶴亀松竹等の描かれた丸団扇(まるうちわ)が見える、
白石氏の初代、五郎通益(ごろうみちます)は、平治元年(1159)頃に肥前で兵を起し、翌永暦元年(1160)4月に平清盛の家臣筑後守平家貞(ちくごのかみたいらのいえさだ)に討ち取られた日向太郎通良(ひゅうがたろうみちよし)の子(通良の弟幸通の孫ともされる)で、文治3年(1187)11月(仁治元年-1240年ともされる)に白石郷を与えられて御家人となり白石と改姓。須古城を築城し、妻山・稲佐・室島の各支城を築いたとされる。
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