稲佐神社

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稲佐神社

稲佐神社は平安時代初期にはすでに祀られていました。『日本三大実録』の貞観3(861)年8月24日の条に、「肥前国正六位上稲佐神・堤雄神・丹生神ならびに従五位下を授く」とあり、これが稲佐神社が正史に現われた最初の記録です。また、社記には「天神、女神、五十猛命をまつり、百済の聖明王とその子、阿佐太子を合祀す」と記されています。
平安時代になり、神仏習合(日本古来の「神」と外来の「仏」が融合)の思想が広まると、稲佐大明神をまつる稲佐神社の参道両側に真言寺十六坊が建立され、この一帯を「稲佐山泰平寺」と呼ぶようになりました。
この泰平寺を開いたのは弘法大師(空海)であると伝えられていて、今も弘法大師の着岸した地点が「八艘帆崎」(現辺田)としてその名をとどめています。また、「真言寺十六坊」は、この地方の大小の神社の宮司の立場にあったと言われています。
『肥前古跡縁起』(江戸期)の稲佐太(泰)平寺の項に「流鏑馬祓様々にして神慮を冷め奉る…」とあるように、鎌倉時代には、武芸をともなう祭礼が盛んに行われるようになりました。今も毎年10月19日の供日には「流鏑馬(うまかけ)」が行われています。秋の祭りの楽しみのひとつです。
現在では、稲佐神社と十六坊のうち、座主坊・観音院・玉泉坊の三つを残す以外はなくなってしまいました。自然石が丁寧に積まれた参道は往事の面影をしのばせてくれます。また、稲佐神社山門から望む有明海の眺望はすばらしいものです。
《 案 内 》古代に創建。六国史の一つ『日本三大実録』に記録を残す。境内の楠二株は県天然記念物。自然石の長い参道は趣がある。

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