八坂神社

国道207号線の「白石町役場入口」交差点を白石共立病院の反対に曲がり、三つめの交差点を右折し直進すると、左手に八坂神社が見てきます。

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八坂神社

八坂神社(祇園さん)は、もとは須古之庄祇園屋敷に鎮座されていた国史所裁の名神で、社号を「久治国神(くじくにつかみ)」という。その創建は遠く景行12年と伝えられ、「三代実録」の清和天皇貞観2年(860)条に「二月壬午八月己丑 進従五位下久治国神従五位上」の宣旨を賜ったと記されている。
下って江戸時代初期、佐賀初代藩主鍋島勝茂が有明海や江湖干拓の督励のため白石干出(ひいで)に屋形を造営し、その後寛永18年(1641)にそれまで須古に鎮座されていた久治国神を屋形のうしとら(鬼門)方向にあたる現在地に鎮護神として遷座し、「疫病除け、水難除け」の神として古くから厚く信仰している。
当社は、佐賀藩の祈願所と定められ、毎年旧暦1月13日(現2月13日)に春祭りが、旧暦6月13日(現7月13日)に夏祭りが執行されている。特に夏祭りには、以前は白石地方及び横辺田(大町・江北町付近)の郷村から山車(山人形を飾った通称「ヤマ」という)挽夫として300人の献夫が出て、参詣人と一緒に干出の町を、山車を北から南へ、南から北へ引き回し、徹夜の賑わいを呈したという。
明治維新後は、挽夫は勿論、引綱用の材料さえ工面できず衰退していった。その上、電燈、電話線架設のため、山車は飾り付けのみで一時中止状態になっていた。その後、山車は小型に改造され、昔と同様に引き回すようになった。
素朴な農民の崇敬を集めている白石の夏の祇園祭りは、肥前三大祇園祭の一つに数えられ、県下の夏祭りの圧巻として知られている。
江戸時代までは通称「祇園さん」と呼んでいたが、明治元年(1868)3月の神仏分離発令後、京都の「祇園社」が「八坂神社」と社名を改めた為に、当社も「八坂神社」と改め、社格制により郷社に列せられた。(出典=改訂白石町の文化財 平成5年3月)

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