歌垣公園・肥前犬山城展望所
「歌垣」とは、古代において人々が年2回、春に豊作を祈り、秋には収穫を感謝する行事だったものが、次第に若い男女が自分の思いを歌に託して相手に伝え、結婚の申込みをする場へ変化していったものだと言われています。
白石町の杵島山でこの「歌垣」が行われていたことが、『肥前国風土記』(奈良時代成立)に記録されています。
その内容は、「杵島山には三つの峰があり、それぞれに比古神・比売神・御子神がいる。
周辺の村人は、毎年春と秋の二回、酒を持ち琴を抱いて山へ登り、酒を飲み歌い踊る。
その時に歌われている歌のひとつが『あられふる杵島岳を峻しみと草採りかねて妹が手を取る(杵島岳があまりにも険しいので、草をつかみながら上ろうとしていたが手が滑ってしまい、思わず恋しい人の手をつかんでしまった)』であり、杵島曲と呼ばれている」というものです。
このような「歌垣」が行われていたことが確認できるのは、常陸国(現在の茨城県)の筑波山(茨城県つくば市)・摂津国(現在の大阪府・兵庫県)の歌垣山(大阪府能勢町)であり、肥前国(現在の佐賀県)白石町杵島山の歌垣とあわせて「日本三大歌垣」と呼ばれています。
この歴史ある「杵島山」の中腹に「歌垣公園」があります。春には約7万本のつつじが咲き乱れ、花見客でにぎわいます。公園内には白石町で開催してい犬山展望所からの眺める「三十一文字コンテスト」の優秀作品の歌碑が設置されています。
また、歌垣公園の西方、犬山岳の頂上には、城の形の展望台「肥前犬山城展望所」があります。
この展望台からは、戦国時代の武将平井経治の居城であった高(隆)城と杵島城、小島城の支城跡を見ることができ、白石地方の興亡の歴史を感じることができます。さらに晴天のときは、遠く有明海が一望できるのもすばらしいことです。